富士山日帰り登頂記 8月27日(土) 下山記
十合目

 下山路は登りと同じ道をたどる。他の3つの登山道は下山専用道が造られているが、 この富士宮口登山道にそれは無い。 相変わらず頭痛はするが、登りに比べれば下りは随分楽だ。あんなに苦労してたどり着いた 山頂が見る見る遠くなっていく。足元から上るほこりは下に 流れていくので、Yも目を気にすることなく歩く事ができる。しかし、砂と 瓦礫の道は滑りやすい為、Yは足元に気をとられてかなりゆっくり 歩いている。私との差がいつの間にか開いてくるので、時たま立ち止まって 待たなければならない。

九合目

 右手に傾いてきた日を見ると、その下から湧き上がるような純白の雲海が、 富士山の美しいシルエットを浮き立たせていた。登っている時はそんな事に気付きもしなかったが、こうしてみると 間近でも山容の美しさを感じる事ができる。九合目で休憩した後、再び下り始めたが、一向に 頭痛が治らない。登りの九合目から頭が痛くなり始めたので、ここまで降りてきたら自然に 直るだろうと高をくくっていたのだが、どうやらもっと低い所からすでに酸素不足 だったらしい。高山病のやっかいなところは、症状がすぐに出ない場合があることだ。さらに やっかいなのは、我慢できてしまう程度の症状である事が多いため、治療が 手遅れになってしまうことがあるのだという。知らなかったが、 最近では高山病予防薬もあるそうなので、 登山前から高山病対策ができるようだ。

 途中、携帯酸素を回し飲みしているグループを 見かけたが、気休めにしかならないという話を聞いていたこともあり、山小屋でわざわざ 酸素を買うようなことはしなかった。少なくとも下山すれば頭痛もなくなるだろうと軽く 考えていたこともあったのだが、結局翌日まで頭痛が残った事を考えれば、気休めでも 多少は酸素を吸っておいたほうが良かったのかもしれない。

 Yのペースがどんどん遅くなっていくので何かと思ったら、片方の靴底がつま先から ペロンとはがれている。それに靴に砂利が入って痛いのだという。立ち止まった時に砂利を 出してスパッツを着けたら、と言ってみたが、

「大丈夫、大丈夫。」

 と言うばかりで、取り付く島もない。私も頭痛がひどく、人の事を構っている気力も あまりなかったのでそのまま放っておいた。しかし、さらにペースの遅くなったYに 合わせている為、時間がどんどん過ぎていく。太陽はいつの間にか右手の山裾に 近づいてきており、反対側には稜線に沿って富士山の影が重なっている。富士山の巨大な 影のことを”影富士”といって、よく写真や絵の題材になっているが、 この富士宮口登山道からはご来光と同様、方角が中途半端で完全な影冨士を見ることはできない。

 ようやく八合目の鳥居が見えてきた。雲海を背に急峻な山肌に立つ鳥居は、逆光の中、孤高 の面持ちを見せて美しい。登山道を外れて鳥居に近づいて見ると、「奉納  北海道立正学園理事長 山梨県身延町出身 堀水孝教 昭和五十二年七月吉日」と打ち出した 金属製プレートが貼ってあった。北海道立正学園とは甲子園に野球部が出場したこともある 旭川実業高校のことだ。堀水は同校の創立者で北海道で教育者として活動した人物だが、 故郷の身延町には富士五湖の一つ本栖湖があり、ここから見る富士山は千円札のデザインにも 使われるほど美しいことで知られる。もしかしたら堀水は、故郷で見た富士山の美しさに 自らの教育の理想像を重ねる事もあったのかもしれない。

八合目

 八合目で休憩しながら下を見ると、雲が随分上まで上ってきている。もう夕刻ということも あるが、山で危険なのは落雷だ。普段の生活では避雷針があることもあって、雷はさほど 恐いものではないが、山では落雷を防ぐ物が無く、しかも雲の中を歩かなければならない場合は 横から突然雷に襲われることもある。現に富士山測候所建設時には 作業員が雷の恐怖と高山病で すぐに下山してしまい、作業が全くはかどらなかったのだそうだ。実際に雷が近づくだけで、 金属が放電を始め、髪の毛が逆立った後に天の怒りのような激しい雷が落ちること が多々あったそうだから 本当に恐かったのだろう。古代ギリシャ人が雷を武器とするゼウスを神々の 王としたのも分かる気がする。

 一般的に山では午後になると森から出された水蒸気で 雲が発生し、落雷や悪天候による事故、遭難の危険があるため、午後早い時間までに目的地に 到着するよう にするのが鉄則なのだが、今回は山頂に着いたのが16時だったので、これはどう考えても遅い。 下山はもう 少し早いペースで行けるかと思っていたのだが、予想外に時間がかかってしまっているため 、結局ここ八合目で夕焼けを見ることになってしまった。

 とはいえ、山小屋のテラスから見る夕焼けは美しく、多くの登山客が立ち尽くして 見とれていた。ここにいるほとんどの客は、この小屋に泊まる人々なので、皆安心 仕切った顔をしている。中にはビール片手に満喫している人もいて、全くうらやましい限りだ。 ただ、この時間は丁度山小屋の夕食の時間にあたるらしく、時々 小屋のお兄ちゃんがテラスに佇む人達を順番に呼びに来る。当然皆夕焼けを楽しみたいし、 今日の登山が終わり、疲れてほっとしていることもあって動きが遅い。 すると小屋のお兄ちゃんは、

「○○さん、来ないなら片付けちゃうよ!こっちが迷惑なんだけど!」

 とすぐに切れて怒鳴り声を張り上げ、無粋な事このうえない。順番に客を処理しなければ ならず、後片付けも大変なのは分かるが、もっと別な言い方もあるだろうに。 これでは逆切れする客もいるのではないだろうか。冗談を使うなど客を誘導するなら もっと頭を使った方法を取るべきだ。まあ、彼なりに一生懸命なのだろうが、 若いバイトのお兄ちゃんにそんな事を期待しても仕方が無いか、と思い直して改めて刻々と 変化する夕景を楽しんだ。

 私はテラスの手すりから身を乗り出して夕焼けに見とれていたのだが、Yは小屋の脇に腰を 降ろしてひたすら休んでいた。八合目を出発すると、Yは、

「やばいよ、日が暮れちまうよ。」

 と心配そうだ。実際、すでに日は山に隠れてしまったが、まだ空には明るさが残っている。 正直言って私も下山でこんなに時間がかかるとは思っていなかったが、

「大丈夫、大丈夫。焦らずに行こう。」

 と半ば自分に言い聞かせながら言った。

 黙々と下っていると、暗くなり始めた空に遠くから爆音が近づき、 あっという間に過ぎていった。見上げると自衛隊の戦闘機が編隊を組んで東の空に飛んで行き、 すぐに豆粒のようになって消えていくのが見えた。薄暮の空には、 すでに宵の明星が瞬いている。

七合目

 元祖七合目を過ぎ、新七合目に着く頃にはもうすっかり日が暮れて、おまけに少し雨まで 降ってきた。Yは言う事をきかないので、半ば強制的に靴の砂利を出させ、 靴底が剥がれた足に スパッツを付けさせた。足首を覆うスパッツは、防水の他に靴へ土砂の浸入を防ぐことも可能だ。 それに靴底にゴムを通して装着するので、少しははがれた靴底の固定化にも貢献できるだろう。

 雨が降ってきたので体温低下を防ぐ事も考えてザックから雨具を出そうかと思ったが、 動きにくく、歩くと暑さで却って体力を消耗しそうなので止め、ヘッドランプのみ取り出した。 Yは道が暗く、靴底がはがれていることもあってへっぴり腰で歩いている。 登る時はまさか本当にヘッドランプを使う事になるとは思いもしなかったが、Yのランプ が使えないのは困る。しかし、彼の歩き方を見ていると危ないので、結局自分のランプを 貸した。 すでに道はほとんど見えなかったが、道の両端にはロープが張られているので片手で 手繰りながらそれを ガイドとし、できるだけ歩幅を小さくして靴底が完全に地面に着いてから次の足を出すように 歩き、 段差で 転倒しないように気をつけた。助かったのはここまで来ると、ヘッドランプを付けた登山者 が列をなして登ってくるので、その明かりを頼りにすることができたことだ。 それに徐々に目も暗さに慣れてきた。

 ヘッドランプを貸したにもかかわらず、Yの足取りは重い。暗闇を先行する私はしばしば 彼を待たなければならなかった。我々と同様下山時間が予定より遅れてしまい、 ランプ無しで降りてくる人々も結構いるが、彼らも仲間同士で転倒を防ぎながら なんとか降りてきている。

 Yを待つ間に暗くなった空を見上げると、いつの間にか雨は止み、 そこには満天の星空が広がっていた。真正面にはさそり座が天空で体をくねらせている。 まるで赤く光るアンタレスが我々を先導してくれているかのようだ。そんな 感傷的な気分で星空を見ていると、水平線の向こうには、遠くに花火が 上がっているのも見えた。昼間は雲海で地上が全く見えなかったが、富士宮口登山道は 丁度正面に駿河湾が広がっている。きっと夏休み最後の土曜日に どこかの海辺で花火大会をやっているのだろう。

 追いついてきたYに星が綺麗だ、と言うと、

「上を見てる余裕なんか無いッス。」

 と本当に余裕が無い。Yは歩いているうちにもう片方の靴底も剥れてきてしまい、 全く散々な状態だった。 私も相変わらず頭がガンガン痛み続け、疲労もあって精神的に余裕がなくなってきていたし、 下で待ってくれているであろうAさん夫妻のことを考えると余計に気が焦ってくる。

 そのうち 距離が離れるYを途中で待っている時に、後ろから来た男女二人組に声を掛けられた。

「良かったら僕らの後ろについてくるといいですよ。少しは明るいでしょう。」

 ランプを持っていない私を見て困っていると思ったのだろう。彼らも女性は ランプを持っていない。遅れているYは少し心配だったが、 せっかく親切に言ってくれているので礼を言って同行させてもらうことにした。

「初心者の女の子を連れて来ちゃったら、もうここまで10時間半ですよ。麓の温泉旅館 予約しとったんですが、そこは入浴時間が決まっとってね。これじゃ飯にも温泉にも 間に合わんし、何で予約したのか分かりませんわ。おまけに (女性のヘッドランプの)電池は切れるし、足をくじいちゃったのもいて、 後ろから別のが連れて来とんですわ。」

 と半ば自嘲気味に言った。しかし、この男性は根がおおらかな人らしく、 連れの女性に対する厭味には聞こえない。

「ああ、それは大変ですね。でも、僕も似たようなもんですよ。後ろに相方がいるんですけど そいつは靴底が剥れて ヘッドランプも壊れちゃったんで、僕の貸してるんですよ。それでもランプの無い僕のほうが 歩くの速いんですけどね。」

 私に連れがいるとは思わなかったらしく、男性は少し驚いた様子で、

「へえ、そうなんですか。でも、けっこう暗闇に目って慣れるんだよね。」

 と言った。そのまましばらく3人で下っていると、男性はすれ違う登山客に、

「先は長いよ。頑張って。」

 とか、

「下まであとどれくらいですか?いやあ、もうバテちゃって。」

 などと人懐こく声を掛けていく。 そういえば今日は登山客同士でほとんど挨拶を交わす事がなかったのに気付いた。 これは富士山に来る人の多くが普段登山をしないためないのだろうが、普通、山では 登山客同士がすれ違う場合、必ず何かしら挨拶をする。不思議なもので、 たとえ体が疲れていても挨拶やちょっとした会話をするだけで、少なくとも気分だけは ほぐれる効果があるのは確かだ。私も男性に釣られて挨拶をしていると、 心なしか頭痛が軽くなってきたような気がした。

「そういえば、確かもう六合目って過ぎましたよね?」

 と男性に質問された。あまりに下山に手間取って通過したポイントをしっかり 覚えていないらしい。

「いや、まだですね。でも下に見える明かりが多分六合目だと思いますよ。登りの時は 五合目から六合目はすぐだった記憶があるので、多分その右に少し見える明かりが 五合目の駐車場じゃないですかね。」

 と答えると、納得したのか女性に向かって、

「ほら、もうすぐだよ。着いたら何か食おう。後もう少しだから頑張ろう。」

 と励ましていた。女性は疲労困憊している様子でただ頷くだけだった。

六合目

 六合目に到着すると、2人は小屋で食事をしながら後続の連れを持つというので 礼を言って別れた。私も外のベンチでYを待った。テラスでは若い登山客を中心にいくつかの グループが休憩しており、賑やかだ。皆これから夜間登山をする人達だった。 さすがにこの時間に山登りをするだけあって昼間のような軽装の人や子供はいないが、 登山装備の外国人はいる。さすがフジヤマ。

 しばらく待っているとYが下りて来た。暑がりのYはジュースを買い、私にも おごってくれようとしたが、私は待っている間に体が冷えてしまい、 とても冷たいものは飲む気にはなれなかった。Yが携帯電話でAさんと連絡 を取ってみると、Aさん夫妻は麓の温泉に行っているらしい。私にとっては五合目で ずっと待たれているよりは余程気が楽だったが、Yはうらやましかったのか、

「くっそ〜。Aさんめ〜。」

 と負け惜しみを言っていた。私は体が冷えて用を足したくなったので、一足先に五合目に 下りる事にした。もちろん、六合目にもトイレはあるが、わざわざ有料のそれを使うこともない。 しかし、六合目から五合目に下る短い道は、五合目駐車場の明かりが逆光で目に入り、 まぶしくて足元が全く見えない。仕方が無いのでPHSの画面を点灯させて足元を照らしてみたのだが 、気休めにしかならなかった。

五合目

 何とか五合目にたどり着くと、夜の9時だというのにそこは人と車でごった返しており、 下手な地方都市の繁華街より余程賑やかだ。売店のトイレに寄り、用を足して洗面所の鏡を 見ると、目は真っ赤に充血して疲労困憊した顔をしており、我ながら情け無い。 そのまま売店に入ってみると、みやげ物だけでなくヘッドランプまで売っており、 それなら行きにここでYのものを買っておけば苦労しなかったのにと思った。そこで妻の 土産におこじょの温度計を買い、自分の記念には香りの良い檜のおちょこを買った。

 売店を出ると、突然寒気と共に 足元がふらつき始め、頭も割れるように痛くなってきた。階段を上り、 売店の上にあるベンチに 腰を降ろすと今度は吐き気がしてきた。ハンガーノックだ。 高山病では食欲がなくなるので 気付かなかったが、昼食を取ってから過ぎた時間と運動量を考えれば、 本当は再度食事を取っていなければならない時間が過ぎていた。ポケットから急いで 飴を取り出して舐めた。ベンチに座ったまま目を閉じて しばらくすると吐き気は無くなってきたが、相変わらず寒気と頭痛はする。

 足はなんとか動くので 登山口に行って見ると、Yが携帯でAさんと連絡を取っていた。Aさん夫妻は丁度ここに 向かっている途中だったようで、しばらくすると右往左往する大勢の登山客の間を縫って 車が現れた。食事を済ませて温泉に浸かったAさん夫妻はさっぱりした顔をしている。 聞けば”御胎内温泉”というところに行ったのだそうだ。

 ”御胎内”とは富士山の 溶岩洞窟を指し、昔は長谷川角行などの修験者が修業したところだ。修験道の山岳修業は さとりを得る十段階の行程を母胎内での胎児の成長に例えるのでその名が付いている。 ちなみに登山の道のりを麓の一合目から山頂の十合目に分けるのもその 修業の段階を示す行程から付いた呼び名だ。その御胎内で すっきり悟りを得たようなAさん夫妻に比べると、 まだ煩悩の泥中にいるような状態のYと私は、車に乗るなりそのまま寝込んで しまった。

渋谷

 Aさんはまだ食事をしていない我々を気遣って、高速に乗る前にコンビニに寄ってくれた。 私は相変わらず ガンガン頭痛はするし、食欲も全く無かったが、胃に何か入れておかないと回復が遅れるのは 明らかなのでおにぎりとお茶を買い、車中で無理矢理食べた。Yは車から降りる事もせず 何も食べる事ができない。車の運転も代わらずにAさんには悪いとは思ったが、 この状態では運転自体が危険なので、そのまま車中で寝かせてもらった。途中、どこかのイ ンターチェンジで休憩したので用を足し、再び車内で泥のように寝た。

 東京に近づいたところでAさんに起こされた。

「最寄のインターはどちらですか?」

 と訊かれたので、

「ええと、練馬インターです。」

 と答えると、

「練馬?練馬なんてありましたっけ?」

 と言う。運転しながら片手で携帯のインターネットで調べてくれたが見つからないらしい。 練馬ICは確かにこの世に存在するが、それは今走っている東名道ではなく 関越自動車道にあるのだ。ここから 練馬ICに行くには一度首都高に出てから池袋を通って、 わざわざ関越に入り直さなければならない。 普段車に乗る事の無い私は、そんな事にも気付かずに、練馬などととぼけた事を言ってしまった が、Aさんは、

「渋谷でもいいですか?」

 と訊いてきた。時計を見るとまだ0時前なので電車はある。

「ああ、山手線なら何処でもいいですよ。」

 本当はYが自宅から環七を通って練馬まで送ってくれる、と言っていたのだが、 明らかに私以上に疲れているYに無理をしてもらうよりは電車のほうが速いし確実だ。

 渋谷駅に着いてから、Aさんが負担している高速代などの 必要経費はまとめてYに請求してもらうように頼み、礼を言って車を降りた。 Yは私が降りるのも気付かずに熟睡している。

 どんよりした空気が漂う渋谷駅の公園口は、週末という事もあり、終電を目指して 駅に向かう若者達でごった返していた。さすがに 登山帰りの格好をしている人は見かけなかったが、富士山では異様に見えた軽装の若者達に 囲まれている私は、ここではきっと浮いて見えるんだろうな、などと思いながら満員の山手線 に乗り込んだ。


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