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富士山日帰り登頂記 8月27日(土) 山頂記
十合目

 ようやく目の前に山頂の鳥居とその向こうに「やったぞ!富士は日本一の山」と書かれた 看板が現れた。その鳥居でYの写真を撮り、時計を見るともう16時前だ。本来ならもう既に 下山していなければならない時間なので最高峰の 剣ヶ峰は諦めなければならない。残念だが仕方が無い。少し歩いて山小屋の展望台に行くと、 Aさん夫妻が 待っていた。Yと私はベンチに荷物を降ろし、

「いやあ〜、着いたよ〜。」

 と、なんだか間の抜けた感想を言った。Aさんに、

「どれくらい待ちました?奥さんと合流できたんですか?」

 と訊くと、

「いや、僕もバテちゃって。途中少し寝ちゃいました。こいつはどんどん先行っちゃって随分早く 着いたみたいですよ。」

 眠くなるのは、単純に睡眠不足もあるのだろうが、高山病の症状の一つでもある。 脳の酸素供給量が減るので眠気が襲ってくる。奥さんは、

「私は3時間半くらい。」

 と疲れきった表情で言った。ここで3時間半待ったのならきっとピークの 剣ヶ峰には行ったのだろう。

「じゃあ、あそこは行かれました?」

 と、測候所のある峰を指すと、

「いや、行ってないです。」

 我々がいつ来るかはっきりしないため、ここでひたすら待っていてくれたらしい。 奥さんは待ち疲れで体がすっかり冷えきってしまい凍えている。これは本当に悪い事をした。 それでもAさんは、

「向こうに行くと、火口が見れますよ。」

 と、気を使ってくれる。悪いなあと思いつつも、せっかくなので火口を 覘いて見る事にした。

富士山本宮浅間大社奥宮

 展望台の向かいには富士山本宮浅間大社奥宮があり、若い外国人2人が旗を持って記念写真を 撮っている。さすがに強風の富士山頂にある神社だけあって、石灯籠には金網が巻かれ、 社殿も石垣で固められている。まるで小さな要塞のようだが、正面の鳥居と屋根の千木が かろうじて神社であることを示していた。

 小さな薄暗い神社拝殿内には神主が3人もいて、当然なのかもしれないが、 ちゃんと神職の格好をしている。 この神社は富士宮市にある富士山本宮浅間(せんげん)大社の奥宮なので、神主さんも そこから夏の間だけ派遣されてくるのだろう。浅間大社の宮司さんは、本当に昔の 行者並みの体力が必要そうだ。そういえばそこにいた3人ともまだ若かった。

 富士山の神社がなぜ浅間なのかと思うが、これは垂仁天皇三年(B.C.3?)に 大噴火で荒れた富士山を鎮めるため、山麓に火山神、浅間大神(あさまのおおかみ)を 祀ったことによる。ところが、この浅間大神は記紀神話にも登場せず、出自がはっきりしない。 しかし、『古事記』(和銅三年、712)の「火神迦具土神(ひのかみかぐつちのかみ)」にはカグツチが誕生する際 母イザナミの陰部を焼いた事が原因で死んだ為、怒ったイザナギが息子カグツチの首を刎ねて 殺してしまう話が出てくる。その時カグツチの頭から生まれたのが ”正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)” だ。この首を切り落とした時の血しぶきを火山の噴火に例えて、 体の各部分からマサカヤマツミを頂点に山の裾野までの山体を表す神々が誕生している。 そう考えるとマサカヤマツミは噴火した山頂そのものの神、つまり火山の神とすることができる。 ヤマツミとは同時に生まれた八神に共通の名であり、”山つ身”つまり山体そのものを表す と考えてよく、 時を経るにつれて頂部と示す”マサカ”が”アサマ”に転じたのだろう。

 そうすると、なぜ 浅間山ではなく富士山と呼ぶのかという疑問も湧いてくるが、”アサマ”を火山の神とする 大陸系の人々が富士山周辺に進出したときには、すでに縄文語の ”カムイ・フチ(火の山の女神)”が一般化していたと見ることができる。浅間大神を祀る 浅間神社は当初特定の社地を持っていなかったようだが、社伝によると ヤマトタケルの東征の際、山麓の山の宮と呼ばれる磐を御神体とするようになり、その後 大同元年(806)に東北の蝦夷征伐に活躍した征夷大将軍、 坂上田村麻呂により現在の場所に固定されたのだという。 しかし、山の宮の場所はもともと”冨知神社”のあった場所だといわれている。 現在、この神社は”フクチ”神社と呼ばれているが、延喜七年(907)の『延喜式神名帳』では ”フチ”神社とされている。つまり、ここは富士山周辺に住んでいた縄文人の 祭祀所だったと思われる。恐らく縄文時代から”フチ”信仰のあった場所を 後からやってきた”アサマ”の神に譲ったため、山名に”フジ”が残り、現在に伝わった のだろう。都良香の『富士山記』に「山を富士と名づくるは、郡(こほり)の名に取れるなり。 山に神有り。浅間大神と名づく。」とあるのはその事実を端的に示しているのだと思われる。

八葉蓮華

 そのままお参りして、神社右手の石垣の向こうの火口に行った。

「デカイ。」

 という感想が思わず口を出た。これは火口というより クレーターだ。昔、ここに星が落ちたのだといわれてもおかしくはない大きさ と荒々しさで噴火口は広がっていた。人を基準に した建築物である神社から自然の造詣物である火口に来た為、余計に そのスケールの違いに驚かされる。ここから大内院と呼ばれる底まで高低差約 200m、直径約50mの円形に近い噴火口は、その周囲に幾つかのピークを聳え立たせている。

 その内の一つが日本一の標高を持つ剣ヶ峰(3776m)で、そこに赤茶けた測候所が へばりついている。かつては東海道新幹線から山頂のレーダードームが見えたものだが、2004年 に74年続いてきた有人観測を終え、レーダードームも取り外されている。測候所の無人化は、 気象衛星の利用で山頂レーダーの意味が無くなったことに加え、 測候所内の機器を遠隔操作できるようになったため、危険な山頂任務にわざわざ人を派遣する 必然性が無くなったから、ということらしい。実際に4名が冬〜春期の交替登山時 に遭難、殉職しているという過去を聞けば当然という気もするが、 地上からの影響を受けにくい独立峰の 山頂にある測候所を、自由対流圏の大気科学観測、天文学、高所医学、スポーツトレーニング 学、地震科学等の拠点として利用する案も出ているようだ。 しかし、維持管理費用が年間6000万円以上かかるため、気象庁からバトンタッチする引き受け 機関がないのだという。取り外されたレーダードームは、現在、富士吉田市の ”富士山レーダードーム館”で展示されている。

 この峰に囲まれた火口は、古くから蓮の花に例えられて”八葉蓮華”とも呼ばれている。 釈迦は蓮の花から生まれたといわれ、密教では大日如来を中心に各蓮の花びらに仏と菩薩を配置 する曼荼羅を”八葉蓮華”ともいう。このことから この呼び名が最初に山頂に到達した一連の密教系修行者達によって 名付けられたものだとわかる。 また、それぞれの峰には名前が付いており、江戸時代まで各峰には曼荼羅に模して 仏、菩薩の名が 冠されていたのだが、明治の廃仏でその名を変えられ、仏教にかかわるものは全て 取り払われてしまったのだという。 昨年行った高野山の伽藍も峰に囲まれた山上の盆地 にあり、同様に八葉蓮華と呼ばれている。空海の富士登山は伝説にすぎないが、もし実際に 富士山頂に空海が登り、日本一の山に似た地形を選んで高野山に伽藍を 建立したのだとしたら面白い。

 釈迦が生まれた蓮の花に例えられるこういった火口の形は、古代ではより直接的に女性器と 見なされる事が多い。恐らく周囲にひだのある形がそれを連想させ、赤い火を吹きながら 山が生まれる様が出産とその時の出血に重ね合わされるのだろう。 富士の語源になったと思われるアイヌ語の”フチ”が 女性であることもそうだが、記紀に書かれるイザナミが火の神カグツチを生み、 その時の嘔吐で鉱物の神カナヤマヒコとカナヤマヒメが生まれたという話も 火山との関連を想像できる。また、コノハナサクヤヒメは、 その名から桜を神木とされ、富士の裾野にはフジザクラ(マメザクラ)が生えていることから 富士の主神になったといわれる。しかし、桜は富士山に史上初登頂を果たしたといわれる 役行者小角のシンボルであり、どちらかといえば修験道の影響を感じさせる。 それよりもコノハナサクヤヒメは、貞操を疑う夫のニニギノミコトに腹を立て、出産時に 産屋に火を放ったというその強烈な姿を巨大火山である富士山に重ね合わせたと言われるほうが 納得がいく。富士山はその山容から男性的な山と思われがちだが、生む性の強さやたくましさを 考えると、古くから女神とされたのは当然という気がする。

 山頂で強風に吹かれながら火口を見ていると、Aさんがやってきた。

「すみません、コンロと鍋貸してもらっていいですか。」

「鍋は汚れていると思いますけど、良かったらザックから出して使ってください。」

 と答えると、

「お茶を飲むわけじゃないんで。じゃあ、お借りします。」

 と言って展望台の方に戻っていった。

 すぐそばで写真を撮っている中国人留学生に中年登山者のグループが親しげに声を掛け、 写真を撮ってあげている。後から来た若い2人組は、火口の中壇に石を並べて大きく「夢」 と書かれているのを見て、

「”夢”だって。キモッ!」

 と冷めた感想を言っていた。私は目の前に見える剣ヶ峰に行けないのはやっぱり悔しいな、 と思いながらしばらく火口を見ていたが、時間も時間なので諦め、設置してある バイオトイレで用を足してから展望台に戻った。

 展望台に戻るとYはベンチでぐったりしており、Aさんの奥さんは真っ青な顔をしている。 Aさんはペットボトルで湯たんぽを作る為に、さっき鍋とコンロを借りに来たのだ。 そんな事とも露知らず、のんびり火口見物していた自分の気遣いの無さに我ながらあきれたが、 Aさんは、

「冷えちゃっただけなんで、歩けば大丈夫ですよ。」

 と相変わらずこちらを気遣ってくれる。

「それより集合写真撮りましょうよ。」

 と提案されたので三脚を取り出してさっきの看板のところに行くが、Yが来ない。 仕方が無いのでAさん夫妻の写真を何枚か撮った。さっき真っ青な顔をしていた奥さんは、写真 を撮る段になると、笑顔になりAさんに寄り添って可愛らしい。

 展望台に戻るとYは相変わらずベンチで伸びていた。Aさん夫妻には我々を気にせず下山 してくれるよう言って、先に出発してもらった。この時間でもまだ山頂目指して登ってくる人 は結構いて、後からやってきた若者のパーティーは、到着するとメンバーの女の子達が、

「やったあ〜。」
「やっと着いたよ〜。」
「超うれしい〜。」
「寒いねえ〜、スノボのウェア着てきて良かったぁ〜。」

 と、口々に素直な感想を言っている。見ると全員スノーボード・ウェアを着ているので、大学 かなにかのサークルなのだろう。彼らに写真を撮ってくれるよう頼まれたので、それを 引き受けてから下山のため、スパッツを付けた。


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